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フランスで有名な日本人画家、藤田嗣治

藤田嗣治は、フランスでは最も有名な日本画家です。藤田は、1886年東京に生まれました。四人兄弟の末っ子で、父親は医者の家庭でした。父親は、森鴎外の後任として、陸軍軍医を勤めた人物です。そんな家庭で育った藤田は、幼少の頃から絵を描き始めました。藤田の家には、絵巻物などがたくさんあり、藤田は大きな影響を受けたと言われています。中でも北斎から得た影響は大きいと言われています。本格的に油絵を習い始めたのは、14歳のことでした。その後、藤田はフランスに留学したいと考えるようになります。しかし、森鴎外の薦めもあって、東京美術学校(現在の東京藝術大学)に進学しました。しかし、在学中の藤田が熱中したのは、絵画以外のことでした。当時は、フランスから帰国した画家たちにより、印象派や写実主義のブームが起きており、このような派の画家がもてはやされる時代だったからです。


藤田は同級生とともに観劇や旅行に打ち込んでいたと言われています。1913年には、藤田はついにフランス留学の夢をかなえます。まず住んだのは、モンパルナスです。モンパルナスは家賃相場も低く、当時画家がたくさん集まる地区でした。しかし、フランスに渡ってすぐに第一次世界大戦が勃発します。藤田は、日本からの仕送りも耐え、生活は大変厳しいものでした。戦争中のフランスでは絵が売れる訳もなく、絵を燃やして暖をとる日もあったと言われています。しかし、終戦のころには藤田の絵画は高い評価を得るようになります。戦後の好景気も追い風となり、藤田の絵は高く売れるようになり、日本人画家、藤田嗣治の名はまたたくまにパリで有名になりました。当時モンパルナスには大勢の画家が住んでいたが、ここまで成功した画家は数少なかったといいます。この頃に藤田嗣治の画風が確立されます。裸婦に代表されるような、乳白色の肌の女性を描いた絵は、現在でも高い人気があります。藤田は中南米を旅行したのち、日本に帰国します。日本では、二科展で活躍します。第二次境大戦中は、戦争画も描くようになります。第二次世界大戦が終わると、藤田は再びフランスに戻ります。


そのまま帰化すると二度と日本に戻ることはありませんでした。1868年スイスのチューリッヒでがんのため死去しました。波乱に満ちた生涯を送った藤田嗣治は、現在もパリ郊外の墓地に葬られています。藤田嗣治の作品は、現在フランスを中心にベルギー、日本にも保管されています。

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